【古民家の宿】を運営したい!我が家の離れで宿経営しようと思った経緯とは?

宿泊所経営


3年前の11月1日、『銀杏舞う古民家の宿 孫九庵』(以下、孫九庵)を開業しました。宿経営を始めたことは、私にとって大きな一歩でした。現在、孫九庵はコロナ感染を懸念して、自粛休業しています。


主人の仕事や私の他の仕事はリアル対応のため、万が一でも当庵から感染者が出てしまうと、本業の経営が窮地に追い込まれるだけでなく、お付き合いしている関係各社にもご迷惑をおかけしてしまいます。


孫九庵での宿経営は、稼ぐためではなく、離れを維持管理するためということもあるので、やむなく休業している次第です。


孫九庵を休業している間に、色々な視点から3年間を振り返り、今までの経緯や問題点などをブログにまとめておこうと思い立ちました。


こんにちは!古民家暮らしナビゲーターのイサタケです。当ブログにお越し頂き、ありがとうございます!はじめてお越しの方は、はじめての方へをお読み下さい。


今回の見出しはこちら!

古民家の宿孫九庵を開業しようと思った理由とは?

迎賓館としての役割

外観から見る古民家の孫九庵

迎賓館としての工夫


孫九庵は、我が家の敷地内にある離れ一棟で経営しています。離れは、私の曽祖父が、事業や政治関係の来客用の迎賓館として昭和3年に建造しました。


当時、曽祖父は地元の鉄道や電力事業の礎を築き、県全体の鉄道事業にも関与していたようです。また、衆議院議員にも選出され、財界人・政界人とも多く交流がありました。そこで、来客用の迎賓館を建造し、お客様をもてなしていたようです。

建造後92年が経っている孫九庵ですが、使われている材がしっかりしているため、まだまだ現役の建物です。建築的にもこだわりの技巧が随所に散りばめられ、内装や調度品など民家の座敷とは別格の仕様となっています。

孫九庵一棟を建て替えて再現するには、どれくらいの費用がかかるのかと、古民家建築の専門家の夫に質問したら、『現代では再現不可能』と言われました。どんなにお金をかけても、使っている材や匠の技術が活かされた設えは、二度と手に入らないものばかりだそうです。

また、メインの座敷は、8畳と広いながらも茶室の設えになっており、炉がきってあります。遠方からお越しになった客人を、茶の湯でもてなそうとした曽祖父の思いが伝わる造りになっています。

回廊式の廊下
渡り廊下から離れ孫九庵へ(奥:孫九庵右側が雨戸側)


離れは、迎賓館として色々な工夫が施されています。まず一つに、雨戸の開閉が座敷を通らずにできることです。客人がゆっくり寛いだり、寝間に使っている座敷を通って、雨戸の開閉をすることは、プライバシーの配慮という点で、間取りを気をつけなければならないことです。


ですが、孫九庵では、もてなす側の家人が、母屋から渡り廊下を通って離れに入り、回廊式になっている廊下から雨戸の開閉ができるという点からも、宿経営にふさわしい構造になっていると思います。


子供の頃、離れは祖父母が隠居部屋として使っていたことから、家具がたくさん置かれていて、廊下の建具が塞がれていました。回廊式の廊下として使われていなかったので、宿経営するためにリノベーション工事をしてから気が付いた次第です。

南側の回廊(右側が雨戸側)


あらためて、曽祖父の客人をもてなす心遣いに思いをはせ、この離れが我が家にとってどんな存在だったかを考えさせられました。


遠方からお越しになる客人をもてなすための建物であれば、宿として復活させ、日本だけでなく世界中からのお客様をおもてなしすることが、離れの本来の使命であり、私の役目のように思っています。

明かり取りの高窓障子
メイン座敷側の高窓(雨戸側と内側の障子)


古民家の宿孫九庵には、隣合っている座敷が二間あります。その両方ともに、通常の障子の上部に採光用の高窓障子があります。

寝間座敷側の高窓(雨戸側と内側の障子)


建造当時の昭和初期頃、田舎ではまだ電力事情が整備されてなかったのではないか、そのため、孫九庵では高窓や書院など、できるだけ採光できるような設えが施されています。


夜、雨戸を閉めてしまえば、真っ暗になってしまう屋内に、高窓から差し込む月明かり
朝、寝間に差し込む朝日


現在のように明るい照明がなかった時代に、少しでも光を求め、お客様のために設えた高窓障子から、今も明るい日差しが入り込みます。

古民家宿開業を決意したのは、離れの劣化が進んでいたため


今から思えば、当初の目的が迎賓館として建造された孫九庵なので、人が宿泊するのに十分な設備が備わっていました。台所・浴室・トイレはもちろん、八畳二間の座敷と四畳半の居間があり、祖父母が隠居部屋として使うのも、南向きで明るく、暖かい部屋だったからです。


40年前、祖父母が相次いで亡くなってから、私達家族の生活の場は母屋に移り、離れを使うことはありませんでした。時々、会合で座敷を使うくらいで、昔のままの汲み取り便所や壊れた浴室では、人は生活できません。


子どもながらに、ぽっとん便所の暗いイメージがあり、離れ全体も雰囲気的に怖かったので、私達家族もほとんど離れに行くことすらありませんでした。


そのうち、便所側の下屋部分がひずんできたようで、壁や天井の劣化が見られるようになりました。このまま誰も使わなかったら、離れはダメになってしまうと不安な思いに駆られるようになりました。


座敷はまだ健在で綺麗なのに、私達の代で離れをダメにしてしまっていいのか?我が家は、先祖から子孫へのバトンではないのか?何度も何度も自問しました。そして、建築士の夫や母とも相談を重ねました。


そして、ついに当時のインバウンドブーム、古民家ブームを逃してはならないと思いが至り、3年前の6月頃、宿経営を決意したのです。

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